秋の酒:辰巳浜子
(1)
宵のうちから元気ハツラツのお客様たちは、のむほどに、酔うほどにいよいよ元気旺盛となり、
「おい、おまえ、歌え!」
「よし、歌うぞ」
佐渡おけさが出る。土佐ぶしが出る。詩吟が出る。
箒を持って、軍歌で踊る。もうのめもしないのに、おい、ビール、おい、お酒、と、わめきたてます。
テーブルの、一日がかりで作ったごちそうも何のことはない……。
さしみの小皿はたばこの灰落としに変わり、煮ものの椀の中に酒が入り、だれの杯やら支離滅裂です。
「おい、奥さん、茶漬け!」という人もあれば、「オレはもう帰るぞ」という人や、酔いつぶれて、いびきをかく人もある。まったく、落花狼藉で手のつけようもありません。
(2)
終電者がなくなりました。
帰れない人のために、寝床のしたくを終えて、テーブルのあとかたづけを始める頃は、今までのそうぞうしさから解放されて、気が抜けたようです。
酒とたばこのにおいを払おうと障子を開けると、秋の夜の風が冷たく吹き入り、月の明るい庭に白萩が白くこぼれています。虫の声がいっぱい……。
夜風を胸いっぱい呼吸していると、酔いつぶれていただれかが、ムクムクと起きて、私の前に正座するではありませんか。
「お水でもさし上げましょうか」
「いや、どうぞおかまいなく。ゆうべはたいへんごちそうになりました。あまり愉快だったので、思わず深く酩酊いたしました。おやおや月が出ていますな。静かな秋の夜ですな。一つ、若山牧水のあの大好きな歌を歌いましょう」
――しら玉の歯に浸みとおる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり
なるほど……。この歌のように、酒は静かにのんでいただきたかった。お酒とは、まったく妙なものだと思わずにはいられませんでした。
(3)
もしも、私が男で、酒をのむとしたら、しら玉の歯に浸みとおるように静かにのんだことでしょうに。
月影さす縁側に、箱膳を前にして、さて、肴はなんでしょう。
枝豆?小なすのつけものかな?
月を仰いで、過去を思いめぐらし、きょうを思い、未来を考えるのではないかと……。
それとも大トラになって"オーイ、ねえちゃん、こっちへこい"の口かしら。
↓大阪弁でいうと…
秋の酒:辰巳浜子
(1)
宵のうちから元気ハツラツのお客様たちは、のむほどに、酔うほどにいよいよ元気旺盛となり、
「おい、おまえ、歌え!」
「よし、歌うぞ」
佐渡おけさが出る。土佐ぶしが出る。詩吟が出る。
箒を持って、軍歌で踊る。もうのめもせんのに、おい、ビール、おい、お酒、と、わめきたてまんねん。
テーブルの、一日がかりで作ったごちそうも何のことはない……。
さしみの小皿はたばこの灰落としに変わり、煮ものの椀の中に酒が入り、だれの杯やら支離滅裂や。
「おい、奥はん、茶漬け!」ちう人もあれば、「オレはもう帰るぞ」ちう人や、酔いつぶれて、いびきをかく人もある。まるっきし、落花狼藉で手のつけようもおまへん。
(2)
終電者がなくなりよったんや。
帰れへん人のために、寝床のしたくを終えて、テーブルのあとかたづけを始める頃は、今までのそうぞうしさから解放されて、気が抜けたようや。
酒とたばこのにおいを払おうと障子を開けると、秋の夜の風が冷たく吹き入り、月の明るい庭に白萩が白くこぼれていまんねんわ。虫の声がいっぱい……。
夜風を胸いっぱい呼吸しとると、酔いつぶれとっただれかが、ムクムクと起きて、わいの前に正座するではおまへんか。
「お水でもさし上げまひょか」
「いや、どうぞおかまいなく。ゆうべはたいへんごちそうになりよったんや。あまり愉快やったさかい、思わず深く酩酊いたしたんや。おやおや月が出ていまんねんわな。静かな秋の夜やな。一つ、若山牧水のあの大好きな歌を歌いまひょ」
――しら玉の歯に浸みとおる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり
なるほど……。この歌のように、酒は静かにのんでいただきたかった。お酒とは、まるっきし妙なものだと思わんとはいられまへんやった。
(3)
もしも、わいが男で、酒をのむとしたら、しら玉の歯に浸みとおるように静かにのんだことでっしゃろに。
月影さす縁側に、箱膳を前にして、さて、肴はなんでっしゃろ。
枝豆?小なすのつけものかな?
月を仰いで、過去を思いめぐらし、きょうを思い、未来を考えるのではおまへんかと……。
それとも大トラになって"オーイ、ねえちゃん、こっちへこい"の口かしら。